

なりゆきで天武天皇じきじきに朝廷内を案内されることになった安万侶は、トボトボと天武の後について歩いた。

あの……お忙しいのに、父が強引にすみません

ははっ、子どもがそんなこと気にしないの

それに、この前の賭博で、ガッツリ品治のこと負かせちまったから……まぁ、このくらいは

む? そのお話、聞いてないんですけど……

えっ!? あ、ごめん。今の、忘れて?

帰ったら、母上にチクってやる……

てか、なんだかんだ品治とは付き合い長いんだよ

「壬申の乱」の話は聞いてるでしょ?

ええ……父の武勇伝は、飽きるくらい

ははっ! 君のパパ、すごい活躍だったんだから

へぇー。そうなんですか

ふっ。しかし、「やすまろ」か……

いい名をもらったね?

はぁ……

そしたら、早速、君のインターン先を案内しよう


む? いんたーん?

そ。歴史の編纂プロジェクトに関われば、勉強もできて、仕事もはかどって、一石二鳥だろ?

おー!本格的な歴史編纂の現場っ!楽しみですっ!!!

うん。ざっくり、概要を説明すると、現在、朝廷では日本の歴史書編纂のプロジェクトを進めていてね

編纂……ってことは、歴史をまとめ直しているってことですよね?

そう。各国、各氏族から資料を集めて、歴史の洗い出しやら系譜の精査やら、もろもろな

朝廷では、ご先祖様の功績で、役職やら給料が有利になることがあるから

結構、ウソ書いてる氏族も多いんだよ

なるほど……

でも……そんな大事なことなのに、今まで日本に歴史書ってなかったんですか?

あー。本当は、聖徳太子と蘇我馬子のまとめたものがあったんだけど……

ほとんど、燃えちゃって

燃えたっ!?

そ。うちの兄貴のせいで燃えたの

陛下の「兄貴」って、まさか…………

中大兄皇子!?

そうそう。「乙巳の変」の時にね

蘇我入鹿が殺されて、逆上した蝦夷が燃やしちゃったんだよ

うわー。中大兄皇子と藤原鎌足のやつだ

教科書に載ってる項目、身内ネタとして聞くの新鮮です!!

ははっ! でも、兄貴の代は「白村江の戦い」で惨敗して、歴史書編纂どころじゃなかったから

オレの代で、なんとか進めようと頑張ってるとこ

おおー!

で、何年か前に兄貴の息子の川島とか何人かに、歴史書の編纂を命じたんだけどさ、

これがまた、すごく時間のかかる作業で……

正直、オレの生きている間に終わる気がしない

うわー。そんなレベルなんだ……

そしたら、まろはそのお手伝いをさせていただけるんですか?

いや、あっちの現場はピリピリしてるからな

君はこっちだ
天武は、おもむろに小部屋の引き戸を引いた。




わっ……

え? ここが、歴史の編纂プロジェクトの本格的な現場?

なんだ、天武か

その子が、この前言ってた見学の子か?

そ。友達の子、安万侶だ

は、はじめまして、安万侶です……

おお。もふもふだ……

もふもふよな……


えっとー……

ああ、この方は、稗田阿礼さんだ。歴史の編纂の作業をしてくれている

あれ? さっきおっしゃっていた、川島様の編纂プロジェクトとは違うんですか?

ああ。ボクは、語り部だからな!

語り部……?

川島様のところのプロジェクトは、ガチの歴史書づくりだろ?

何度か資料を借りに行ったけど、あっちは異伝をまとめたり、年代の整理をしたり、めちゃくちゃ大変そうだったし

そうね。あっちは国外的に……

てか、唐に「日本は独自の歴史と文化を持った独立国家だ」って示すための編纂だから

不備がないよう、厳密にやらせてる

後に、『日本書紀』と呼ばれるものだ

うわぁ……ってことは全部、中国語の漢文表記か。それは大変……

対して、こっちは口伝の暗唱だ

くでんのあんしょう……?

「口づて」で伝わってきた話を丸暗記して、声に出して言えるようにすることだよ

うわー。こっちもこっちで大変そう

でも、物語は一本で通っているし、なにより日本語だ

あっちより断然マシだろ?

確かに……

要は、おばあちゃんの昔話の、すごいバージョンといったところだな!

で、こっちが将来、『古事記』と呼ばれるようになるわけだ

なるー

ところで安万侶は、語り部ってわかる?

えっと……しゃべるお仕事?

ははっ! まぁ、そんな感じだけどな

大昔は、日本に文字がなかっただろ?

だから、昔の人は歴史を口づてに記憶して覚えていたんだよ

語り部は、それを専門にした部署のことだ

ええっ!? 何百年もの歴史を!?

そう、すごいよなー

へへっ……

川島の方は、編年体っていう年代別表にしていて、正確さや、情報量はあっちの方が秀でていると思うけど……

でも、昔ながらの語り部が語り継いできた歴史って、古い大和言葉の響きが残っていて美しいんだ

それはそれで、残したくてね

わー! 素敵ですねっ!!

だろ? オレが小さい頃は、語り部もまだいっぱいいたから

爺さんたちの話を聞くの好きだったんだよ

でも、仏教の広まりと共に、これまで以上に文字が慣例化して、語り部の数が減っちゃって……

阿礼ちゃんは、もともと雑用係の舎人だったんだけど、「聞いたもの、見たものを忘れない」って特殊能力を持ってたから、スカウトしたんだ

へぇぇー!

オイ、天武。今、どさくさに紛れてボクを「ちゃん」付けで呼んだだろ。失礼だぞ。やめてくれ

はぁ。文字のおかげで、便利にいろんなことを残せるようになったのはいいんだけど……暗唱できる人間は激減

進化してんだか、退化してんだか……

いまどき、阿礼ちゃんレベルで一言一句間違わずに覚えられる人材はなかなかいないんだよ?

へー! すごいですねっ!

まっ、まぁな!

しかし、天武。「ちゃん」付けはやめろ。不快だ

とりあえず、阿礼ちゃんには帝紀と旧辞、神話から歴史まで暗唱できるようにさせたから、知りたいことがあればなんでも聞くといい

オイ、天武。いいかげんにしろよっ!!絶対、わざとだろ!?

んー?

ったく。安万侶に、女だと思われたらどうするんだ

ええっ!? 阿礼さんって女性じゃないんですかっ!?

いや、どっからどう見たって、立派な大和男子だろうがっ!!!!

いや、どっからどう見ても女の子!!!

ははっ。いいんだよ、安万侶。阿礼ちゃんの容姿は「稗田阿礼女性説」によるただのネタだから

ああ、なるほど! わかりました!!

いや、わかるなっ!!!

さて。そしたら今日は、阿礼ちゃんが覚えた「古事記」の原文の読み合わせチェックをするから聞いていくといい

ありがとうございますっ!

無視……

でも、その前にいくつか質問してもいいですか?

ああ、もちろん。なんでも聞いて?

では、早速……

陛下、今、さらっと「ふることふみ」こと、「古事記」の解説はじめようとしましたけど、古事記の成立って、西暦712年3月9日の奈良時代ですよねぇ?600年代後半、まだ飛鳥時代の現時点では、古事記の『原文』が成立しているわけないので、時間軸的に正確な古事記の原文を読むのは、かなり無理があると思うのですが

おお。早速ブッ込んだな、安万侶

すみません、気になって……

いや、好きよ?

それに、オレらが「古事記の原文解説」を行うのには明確な理由があるから。安心するといい

そうなんですね! なんですか?

著者の「最推し」がオレなんだ

Oh……

オレなしで、あの漢字の羅列とは向き合えないそうだよ?

ほぉーん? そいつは、ご苦労をおかけしますね?

ただ、推しのためなら、あの漢字の羅列とも真摯に向き合えるという気持ちはわかる……

だろ?

わかりました。そしたら、まろとしては本当は、実際に古事記の編纂を命じた阿閇様とやり取りしたかったですけど……

あー。未来の元明天皇ね?

はい。未来の陛下とのおしゃべりは、ラノベ古事記書籍版までのおあずけということで、ここでは我慢します

ん? 我慢? あー。うん。まぁ、よしとするか

他に質問は?

では、読者が混乱しないようにルールを明記しておいた方が良いかと

そうね。それは賛成

じゃー、時代設定、全部無視して答えるから、なんでも聞いてくれ!

ありがとうございますっ!

そもそも、『古事記の原文』って何ですか?

西暦712年3月9日(和同5年1月28日)に成立した古事記の写本に残された、太安万侶が記したとされる文を『原文』とする。なお、旧字体は、新字体に変換する

『読み下し文』は?

倉野憲司訳『古事記』(岩波文庫)をベースとするが、わかりづらい箇所は修正を加える

あと……読み下し文の『読み』ってどうします?

あぁ、そうねー。『高天原』だけでも、「たかあまのはら」「たかまがはら」「たかあまはら」「たかまのはら」「たかのあまはら」とか読み方が色々あるから……

ラノベ本編では著者のフィーリングで決めていたが、原文では倉野訳の読み方で統一する

ただし、研究の進化によって学術的に一般的になった読みがある場合は、それを優先する

現代語訳は?

著者による現代語訳を載せる

解説は?

著者の推す説を採用するが、できる限り多角的に表現する

それと、「諸説あり」とはいちいち書かない。現代から見たらこの時代は1300年以上前だからな。全部、諸説ありだ

ですよねー

わからないことがあったら、何でも質問してね

はい!

あとは?

あとは、えっと、そのーー……むぅぅぅーん

(チラッ)

ん??

気になることあったら、なんでも聞いていいよ

その……この空間が「ラノベ古事記」の世界軸なのは理解しているのですが……

それでも、『天武天皇』って死後に送られる諡
だから、阿礼さんが陛下のこと「天武」って呼んでるのが、歴史好きとしては違和感が拭い切れない

へっ?

ふっっ!!

でもそれ言ったら「陛下」も上表でしか使わんし、公的に記されたのも701年の大宝律令だから、微妙じゃないか?

むーん。でも、大宝律令では正式に決められたってだけで、その前から使ってた可能性高いし、まろのがまだマシです

それより、漢風諡を付けるようになったのは奈良時代以降だし、陛下に対して諡で呼ぶとかまじありえないです。超失礼

あうっ……

ははっ、まぁな。でもそれ気にしちゃうと、一人につき、いくつも名前を覚えなきゃいけなくて、大変だろうから

原文中は、古事記の表現をそのまま用いるが、現代語訳と解説では漢風諡で対応することとする。OK??

むぅ……OKです

じゃ。ここからは原文をそのまま記載するから、中級者向けだ。ラノベ風になっているサイトは、誰かさんの妄想が多分に含まれているから、照らし合わせて原文が確認できる構成にする

『オレの時代にはすでに古事記の原文できてた設定』でいくから、よろしく!!

かしこまりましたっ!

おお。コイツ……『設定』って言い切った

そしたらまた、メタ設定になっちゃうけど、将来、安万侶が記すことになる「原文」は安万侶本人に担当してもらおうかな?

わーい! まろ、やりたいです!!

分からないところは、質問してね?

はーい!

読み下し文は、語り部の阿礼ちゃんが最適だよね?

ふっふー!任せろっ!!

あとは、現代語訳も必要か。オレは解説入りたいし、どうしようかな……
すると、ちょうどいいタイミングで扉の方から音がした。

ん?


……やはり、こちらでしたか

げ。不比等

不比等くぅーん♡

む? どちらさまですか?

藤原鎌足の息子

おぉ!

草壁様から頼まれた書類、記入漏れまとめたんで、こちらの修正を願いたく

ああ、わかった。じゃあ、そこに置いておいて

いや、今すぐやっていただけます? 毎度、後回しにするから漏れるんでしょうが

そうだね? それより、お前、今暇だよな? ちょっと付き合えよ

いえ。要求とミスが多いトップのせいでクソ忙しいんで、あんたの修正が終わり次第戻ります

わかった。じゃあ、戻る前にひとつ頼まれてくれ

だから、あんたの気まぐれに付き合ってる暇ねぇんだよ。さっさと直せ

そっか……でもごめん。今、墨持ってなくて……終わったらやるね?

フッ! 墨は持ってきた。二度手間三度手間で、草壁様の貴重な時間を奪いたくないんでな

わぁ〜! そっかぁ〜♡ さすが、不比等くんは使える子だなぁ! 君になら安心して任せられるよ

それじゃあ、不比等くんが『現代語訳担当』ね?

は?

すみません、全く意図が理解できないのですが、なんのお話でしょうか?

今から、古事記の原文を読むんだけど、読者の皆さんが、現代語訳ないと意味が分からないから、訳して

やるわけな……

勅命
(天皇の命令で断れないやつ)

………………

お返事は?

かしこまりましたぁー

不憫
将来、元明天皇の勅命で、古事記の文章を書いてまとめて献上する人。

見たもの、聞いたものを忘れないという特殊能力をもっていたことから、帝紀、旧辞の暗唱のため、28歳の時に天武天皇にスカウトされる。

古事記の編纂に関わった記録は特にないものの、この時代の謎はなんでも不比等のせいにされている。

歴史の編纂をしようと言い出した、言い出しっぺ。結局、天武の御代では完成に至らず、後の世の元明天皇の御代に、古事記は献上されることとなる。


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